臨8
EXHIBITION
企画展

5014
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あずき色とベージュのツートンカラーの電車、5014号。
他の熊本市電とは違う、この電車だけの色。
他の熊本市電とは違う、この電車だけの色。
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かつて福岡と北九州の街を走っていたこの電車は、1978年に熊本に移ってきた。
西鉄1001型。熊本では5000型という形式名を与えられ、4台が活躍した。
西鉄1001型。熊本では5000型という形式名を与えられ、4台が活躍した。
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130人乗りのこの電車は、熊本市電では最大の定員。
唯一の連接車は、ラッシュ時の切り札として活躍してきた。
唯一の連接車は、ラッシュ時の切り札として活躍してきた。
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1997年から新型の連接車が導入され、他の5000型は引退。
5014号も故障から休車となり、しばらくの間は上熊本の車庫の片隅にいるだけであった。
5014号も故障から休車となり、しばらくの間は上熊本の車庫の片隅にいるだけであった。
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依然として最大の乗車人員を誇っていた5000型。
一旦西鉄の工場へ送って抜本的な修理を行い、2017年に8年の沈黙の末に再び走り始めた。役目はもちろん、ラッシュ時の切り札として。
一旦西鉄の工場へ送って抜本的な修理を行い、2017年に8年の沈黙の末に再び走り始めた。役目はもちろん、ラッシュ時の切り札として。
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5014号は、毎日同じ運用で走り続けた。
平日の朝の7時前に上熊本を出て、健軍町まで1往復。コロナ禍に入る前は、夕方にも走っていた。
平日の朝の7時前に上熊本を出て、健軍町まで1往復。コロナ禍に入る前は、夕方にも走っていた。
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いつもと違う時間に走る5014号も良かった。
普段とは違う陽を浴びて。百貨店の中から見たりして。
普段とは違う陽を浴びて。百貨店の中から見たりして。
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街に溶け込む姿が好きだった。
なぜこの車両に、こんなに惹かれていたのか。
美しい流線形の前面と、端正な顔。カルダン駆動の未来的な音。
そして私の祖母宅があった八幡を走っていた電車であるということも、この電車に惹かれた一つの理由だった。
なぜこの車両に、こんなに惹かれていたのか。
美しい流線形の前面と、端正な顔。カルダン駆動の未来的な音。
そして私の祖母宅があった八幡を走っていた電車であるということも、この電車に惹かれた一つの理由だった。
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いつまでも走っているんだろうなと思っていた。
25年の検査も通して、また平日1往復の運用を続けるんだろうなと思っていた。
25年の検査も通して、また平日1往復の運用を続けるんだろうなと思っていた。
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寝耳に水だった。車検に必要な部品が入手できないがゆえ、引退とのことだった。もう川崎のOK台車が限界らしい。
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最後の日はあっさりやってきた。いつもは走らないA系統の運用で1日走っていた。
今でもいなくなった実感はない。こんなに追いかけ続けた電車が引退したという経験がないからである。
次に熊本に行ったときは、もうこの電車は走っていない。らしい。
さようなら。
今でもいなくなった実感はない。こんなに追いかけ続けた電車が引退したという経験がないからである。
次に熊本に行ったときは、もうこの電車は走っていない。らしい。
さようなら。